大原川を隔てた所に、天台宗は尼寺の寂光院がある。聖徳太子が父用明天応の菩提を弔うために建立されたと言う。本尊は六万体地蔵菩薩立像で、近年火災で本堂と共に焼失、損傷を受け今は修復中である。何よりこの寺を歴史的に有名にさせたのは、源平の合戦の後、わが子安徳天皇の菩提を弔うために、建礼院門が過ごした「念佛三昧」の日々を偲んだのがこの寂光院である。その後衰退をしたが、寂光院を豊臣秀頼の母淀君が桃山様式のものを古式通り復元した。今尚平家物語のまま「心字池」や姫小松など平家縁の寺である。
2010年5月19日水曜日
2010年5月18日火曜日
神仏霊場巡り 三千院
三千院は大原を代表する名刹寺院である。創建は最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺建立の折に、草庵を結ばれたのに端を発し、一念三千院、円融院と称し、代々皇族の住持する寺、門跡で天台五カ室門跡の一つである。有名な「往生極楽院」は浄土宗の確立に寄与した源信が父母の菩提を弔いとめに建立、お堂に比べ大きい「阿弥陀三尊」(国宝)納めた天井舟底型と言う構造、両脇時は「大和座り」が特徴、境内は苔生した聚碧園、有清園はもみじ、四季折々の花々と草木は必見である。
2010年5月17日月曜日
神仏霊場巡り 大原 来迎院
洛北、大原の里と言えば「三千院」「寂光院」有名であるが、その他の隠れた古刹が地名にもある大原来迎院である。賑やかな三千院の参道に見落としそうな来迎院の標識がある。一歩参道を外れると、外界と隔絶する来迎院本堂や音無しの滝がある。境内にはいると、静寂が辺りを包み、知る人しか訪れる事の無い、天台宗は融通念仏宗の道場である。開山は円仁(慈覺大師)で声明の道場として開山した、その後、わが国の浄土宗、念仏の先駆けといえる良忍(聖応大師)が比叡山問う東塔を離れ、この寺に入寺し修行を経て阿弥陀如来より融通念仏を感得した。良忍は尾張の生まれ、十三歳で比叡に上がり修行し、園城寺の禅仁に大乗戒を受け、各地で遊学(修行)、融通念仏宗を広め、その後弟子達によって引き継がれて融通念仏宗なって、本山は大阪平野は大念仏寺で良忍は宗祖である。
2010年5月5日水曜日
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