「一ノ宮探訪」備前国一ノ宮吉備津彦神社
JR岡山駅から吉備線に乗って10分余り、備前一ノ宮駅に着く、田園風景の中に、神社の社が山手を背に喜木々の間に間に見えそこが吉備津彦神社と分かる。古代信仰の神体山、吉備中山を背に10万坪余りの広大な神域を持ち、吉備中山には老松が繁り、巨大な岩座郡は元宮奥宮で天御中大神、高御産巣日神、神御産日神(三神は神話に出てくる別天津神)の造化三神が鎮座している。祭神は吉備津彦命を主神にして配神に孝霊天皇,開化天皇、祟神天皇、天足彦国押人命、金山彦命を祀る大社である。
吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子で五十狭芹彦命と言われているが、大和朝廷と対立したが、やがて融和関係が結ばれて血脈関係で吉備津国を治め祟神天皇の時に四道将軍の一人として派遣された。庶皇兄の武埴安彦の反乱を弟の若建吉備津日子命ともに治め吉備津国に下ったと言う。
由来創建については、吉備津彦神社は備前一宮で、吉備一ノ宮の吉備津神社の分社であっただろうと思われる。
社伝に拠れば、吉備中山の東麓の屋敷跡に神詞を建て、吉備の国宗廟の総鎮守とした。その後仏教習合で五一宇、神宮寺、神力寺、常行堂、法華堂も建てられて吉備津宮として、一品一宮吉備津大明神として多いに栄えたと言う。
神社の形式が古代朝鮮の影響を受け、新羅の五陵、韓式の鳥居があり、道教も磐座神社に祀られ、何故吉備に入って来たかは解明されていないが、総社市奥阪い築かれた古代朝鮮式山城も何らかの関係がるかも知れない。
また桃太郎伝説も吉備津大明神を鬼退治の主人公にしたてて、百済の王子が吉備冠者と称し、この地の人に危害を加えたとして、天皇は吉備津彦に鬼神を追伐させた、この地では鬼を(温羅)と言われ、これらを元に桃太郎伝説が出来たのであろう。
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