浪速今昔百景(六) 法楽寺(田辺のお不動さん)
この辺りでは随一の境内と伽藍である、山門をくぐると三重塔が見える。十五年位前に訪れたときには建設中だったが、実に立派な塔があってその奥の大きな本堂に本尊に不動明王が祀られている。境内の大きな楠も目を引く本堂の裏手にコミニュケションのホールなどあって、色々と信仰の人々との寺との関わりに工夫されている。法楽寺の創建は治承二年(1178)紫金山、院号を小松院と称し「たなべのお不動さん」本尊は不動明王で真言宗泉涌寺派大本山、近畿三十六不動札所、大阪十三仏札所、摂津八十八箇所札所となっている。地域では田辺のお不動と親しまれ八百年の法灯を守り続けている寺伝に記されている。開山は平家の棟梁平清盛の嫡男、小松内大臣平重盛公、治承二年(1178)の創設と言われている。仏教に深く帰依していた重盛は、平治の乱にも源氏、平氏のわけ隔てなく菩提を弔ったと言う。その後寺勢は大いに栄えたが戦国の乱世で荘厳殿堂が悉く堂塔は焼き尽くされ、江戸の中期の天正十三年(1585)洪禅普摂律師が河内の野中寺より晋山、大和の大宇陀より人夫を拝し建立、松山藩織田家の殿舎を譲り受け、再建された。また松山藩の縁の慈雲尊者も法楽寺の僧に従って出家したもので、わが国の「梵字」「日本の釈迦」と仰がれたのもこの寺の縁によるものである。
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