2010年3月28日日曜日

神仏霊場巡り百済寺

西明寺を更に南下すると国道より山手に行くと百済寺の山門が見える。門より長い石段を登り詰めると本堂が見える。天台宗で本尊は十一面観音菩薩である。開山は聖徳太子の勅願によって百済の僧恵慈が、この山の霊木を見つけて像を刻み堂を建立したのが始まりと言う。近江最古の由緒の寺院として栄え、比叡山が開宗されると天台寺院として湖東の天台別院として一山寺坊千を数え千三百人を越え他が、佐々木六角の内紛に巻き込まれ、更に信長の焼き討ちで一山灰と化した、その後天海によって再建され、井伊家の加護で復興された。今でもその往時の坊舎跡が見られる。境内の「天下遠望の名園」庭園は必見でる。

2010年3月3日水曜日

河内史跡探訪記




河内古社寺探訪円通寺

河内西国霊場の札所で融通念仏宗で本尊十一面観音は聖徳太子作と伝えられ物部氏追討の後に刻まれていた観音菩薩は四天王寺に安置、その後霊夢に観音菩薩が現れてこの寺にこられたという。

2010年3月2日火曜日

河内史跡探訪木村重成の墓

河内の夏の陣の古戦場

河内史跡探訪 木村重成の墓

“河内史跡探訪 木村重成の墓
大阪夏の陣は河内一円戦場となった。八尾市は幸町は萱振付近、東大阪市の若江と隣接するところに、大阪方の豊臣家の重臣で木村重成の墓がある。勇敢に武士の中の武士とまで言わせた木村重成は負け戦と知りながら、井伊軍と再度戦い井伊軍の山口重信軍と戦い共に討ち死にした。重成の首を討ち取った安藤長三郎の祖孫が重成の菩提に弔い為に墓碑を立てた。また数々の大阪方の武士の首級をこの地より南の定光寺で徳川方によって行なわれ、逸話に家康が重成の首実験に立会いこう褒め称えたと言う、「長門守木村重成は武士の中の武士」とほめた、重成の髷には香が結わいつけて、首を召し取られる事を覚悟、香を匂わせ見苦しき最期を敵に見せない、武士のたしなみ、心意気を見ることが出来る。

河内古社寺探訪萱振御坊恵光寺

浄土真宗の蓮如の六男蓮淳を開基として寺内町が作られ萱振御坊恵光寺中心に形成された、石山合戦に巻き込まれこの辺りは焼け野原になったと言う、大和川の付け替え後寺内町を中心に新田開発が行われ勢力が拡大していった。