2011年7月17日日曜日

浪速今昔百景

浪速今昔百景(一)天王寺さん

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浪速今昔百景(一)天王寺さん
四天王寺と言えば大阪を代表する寺院で、お盆に、お彼岸に難波っ子は、こぞって「天王寺さん」にお参りをすると言っても過言ではない、宗派を超えて老若男女がお参りするのが四天王寺である。本尊は金堂に祀られている救世観世音菩薩である。歴史的に連綿と続いた浪速の風習伝統文化に、大阪人の心の拠り処が天王寺かも知れな。
天王寺駅から北へ、西門に着くと、大きな石の鳥居は七百年余り前に伏見天皇の勅命により造り改めた。鳥居に掛けてある額「釈迦如来転法輪所当極楽土東門中心」の十六文字が書かれ筆者は聖徳太子、空海とも言われているが、その横に石柱に「大日本仏法最初四天王寺」記されている。
今の天王寺の伽藍、堂塔は戦後の再建の堂塔で、室戸台風で伽藍が倒壊、先の大戦の空襲で悉く焼失した。その創建は「日本書紀」によれば推古天皇の時代に造営が開始されたと言う。太子の開山にあたり「天王寺縁起」に示されたのは「四箇院の制」で仏教修行の”敬田院”病人に薬を施す”施薬院“貧しく身寄りの無いもの”悲田院”病気を治癒する“療病院“の四つの願いを立てられた、今もその精神は「四天王寺」に受け継がれている。
平安時代に入ると最澄の開いた天台宗と空海が開いた真言宗に影響された、延暦六年(787)空海は四天王寺に借住し西門で沈む夕陽を見て「西方極楽浄土」観想し、その後四天王寺初の別当に真言系の東寺の円行が就き真言宗との関係が深まるが、その後は天台宗の影響を受ける、弘仁七年(816)に最澄が借住し、法華宗を広め六時堂などを創建し更に弟子の光定や円仁が参篭し法華経、仁王経などを講義し教義を深め別当も天台系に引き継がれていった。
太子信仰は天皇、貴族の厚い信仰と庇護の元に参篭が成された、鳥羽上皇、後白河天皇や貴族の藤原頼長も熱心に参篭をした。日本の立宗開花した高僧では融通念仏の良忍、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍も熱心に参篭した。今は浪速っ子の憩いと「あの世とこの世と結ぶ西門か挟んでの架け橋」で盆、彼岸は老若男女こぞって「天王寺詣り」浪速庶民の心の縁りところである。

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