「一ノ宮探訪」 播磨一ノ宮 伊和神社
播磨一ノ宮は高速は中国道を山崎で下り、北に穴(し)粟(そう)市(し)に流れる揖斐川に沿って一宮町の、因幡街道国道29号線に面している。深々とした樹木に包まれ、播磨国と言う広大な面積を持つ一ノ宮に大巳貴命が鎮座している。配神に少彦名神、下照姫神を祭り、国造りの神、大国主神はこの播磨国内を廻り国を平らげ最後に、この地、伊和里に至り、ひとまず仕事を終え「おわ」と仰せられて鎮まれたと社伝が伝える。創建は成務年間、或いは欽明年間と伝えられ、伊和垣郷に「我れを祀れ」とご神託があって、一夜の内に杉、桧などが群生し、鶴が舞い降りたという、その大きな二羽二は石上に北向きと留まっていたと言う。その所に社殿を創建されたという。本殿の裏側に「鶴石」が鎮座していている。古代より、揖保川辺りは縄文土器などが出土し、弥生時代には有力な氏族、豪族の祖神を祀った伊和君一族の居住地と、銅鐸やなど青銅に携わる氏族の鍛治氏族の「青銅の神」伝承と相まって、その土着の地主神としての伊和大神との関連性や「播磨国風土記」にある近隣の吉備国や出雲国の強い影響もあって、祭神「大国主命」の播磨国平定の最終地に物語れたのかも知れない。その後中央の大和大権の支配を受けたのではないだろうか、また伊和神社の広大な領域は境内末社に留まらず、旧境外摂末社が何を語るか、境内末社には五柱社・祭神天照大神、宇賀魂神、国底立神、市杵島姫神社・祭神市杵島姫命、播磨十六郡神社・祭神播磨旧十六郡内の式内社を祀る。御霊殿・祭神伊和恒郷命、各戦死者。旧境外摂末社・与位神社・祭神素盞鳴尊、稲田姫命山崎町与位にあり。庭田神社・事代主神、一ノ宮能倉付近にあり。 邇志神社・祭神伊弉諾命、伊弉冊命、須佐之男命は波賀町皆木にあり。觱篥神社・大巳貴命、山崎町須賀沢にあり。安志姫神社・祭神安志姫命、安富町三森にあり。こう言った一円に広まった摂社は何を意味するのか、先住の祖神の神々と、吉備、出雲の神の土着に、後発の大和の神々なのかも知れない。
格式において、延喜式に名神大社に列せられ、明治に県社に、その後国幣小社、国幣中社に戦前まで列せられた。また古くより、播磨国一ノ宮として地域に崇められ信仰されている。また時代の趨勢に時の武人の寄進などが窺え、足利尊氏の追討に新田義貞祈願し、また赤松正則寄進、池田輝政寄進、松平常元寄進、池田政元寄進があって、造営にも朝廷や、領主などの加護で再建されたりしている。
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