2009年6月20日土曜日

神仏霊場巡り  吉田神社

Posted by Picasa神仏霊場巡り  吉田神社
京都吉田山の麓、京都大学の東に朱塗りの大鳥が見える。祭神は四神で健御賀豆知命、伊波比主命、は共に天照大神の大命で大国主命に勅命を伝え、この国が天孫に献奉を諸国に巡り民に、国土平定の功を立てられた神である。天之子八根命は天照大神が天の岩戸に隠れられた時に功を立てられ藤原氏の祖神である、比売神は天之子八根命の妃神の春日社の四神を勧請し祀られた。創建は清和天皇の頃に京都における藤原氏の氏神として藤原山影が祀ったのが始まりと言う。その後神職の吉田兼倶が吉田神道を確立し日本の神道界に絶大なる権威を誇った。




神仏霊場巡り  聖護院

Posted by Picasa神仏霊場巡り  聖護院
山伏の創設者の行者を宗祖として天台宗の円珍を経て、白河天皇の熊野詣の先達を務めた増誉を経て後白河天皇の皇子が四世になってからは宮門跡となった、その後兵火に遭い足利将軍義政再建し出家をしている。その後の度々の戦火に再建され秀吉が移転させ現在の地に再建された。

2009年6月17日水曜日

神仏霊場巡り  橿原神宮

神仏霊場 神仏霊場巡り 橿原神宮
橿原神宮の祭神は神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛皇后、橿原神宮は建国創業の地として最も由縁の深い畝傍山の麓に明治天皇の御聖徳により、明治二十三年四月二日に鎮座された。その荘厳な外拝殿はわが国隋随一重厚な拝殿であろう、また大和朝廷の発祥の地に、大和三山の古代の聖地に相応しい神殿である。
神域は四十九万平方米という広大な面積に京都御所の賢所を本殿に、神嘉殿を神楽殿に移築したもので、昭和十五年に拡充された。皇祖の祖神の主神とする神社はなかった。建国の祖として九州の高千穂の宮より東征され国内を統一された。神武天皇は天孫降臨の神から人間へ、日本国民の源流と成すものの原点に相応しい橿原神宮が、その中心なのかもしれない。

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神仏霊場巡り 橿原神宮深田池

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神仏霊場巡り 廣瀬大社

神仏霊場巡り  廣瀬大社
法隆寺の南側の川の流域に鎮座する廣瀬大社は水を司る神さんである。祭神若宇加能売命、相殿に櫛玉命、穂雷命が祀られている。社伝に縁れば祟神天皇の世に廣瀬の河合の里長に御神託があって、一夜に沼地が陸地に、橘が覆い繁り、この地に社殿が建てられたと言う。その後天武天皇が小錦中間人連を遣わし大忌神を祀られたと記されている。社格は延喜式には名神大社、月次とされ朝廷より厚い信仰があって明治に官幣大社となった。何よりこの神社を有名に知られているのが「砂かけ祭」で厄除けと、御田植水口祭礼と水府舞が今日に受け継がれ午前の「殿上の儀」と午後の「庭上の儀」があって拝殿や境内を田に見立てて砂をかけあう神事である。神事は砂を雨に見立て五穀豊穣と神事に食べられる「田餅」を食べると、一年無病息災とされている。水神ならではの全国に知られた奇祭である。





神仏霊場巡り  廣瀬大社
法隆寺の南側の川の流域に鎮座する廣瀬大社は水を司る神さんである。祭神若宇加能売命、相殿に櫛玉命、穂雷命が祀られている。社伝に縁れば祟神天皇の世に廣瀬の河合の里長に御神託があって、一夜に沼地が陸地に、橘が覆い繁り、この地に社殿が建てられたと言う。その後天武天皇が小錦中間人連を遣わし大忌神を祀られたと記されている。社格は延喜式には名神大社、月次とされ朝廷より厚い信仰があって明治に官幣大社となった。何よりこの神社を有名に知られているのが「砂かけ祭」で厄除けと、御田植水口祭礼と水府舞が今日に受け継がれ午前の「殿上の儀」と午後の「庭上の儀」があって拝殿や境内を田に見立てて砂をかけあう神事である。神事は砂を雨に見立て五穀豊穣と神事に食べられる「田餅」を食べると、一年無病息災とされている。水神ならではの全国に知られた奇祭である。




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神仏霊場巡り  帯解寺

神仏霊場巡り   帯解寺
「帯解地蔵さん」で地元はもとより古くは平安時代、江戸時代の天皇、将軍の子授け地蔵として霊験あらたかな信仰の寺として有名である。奈良市は今市町は昔ながらの町並みを狭い道をやっとの思いで寺院に着いたが、この寺院の創建は弘法大師の師の勤操で宗旨は東大寺を本山とする華厳宗である、何よりこの寺を、有名にさせたのは平安時代子宝の恵まれなかった文得天皇の妃の藤原明子に祈願したところ無事の出産したのが清和天皇であった。その後戦国時代に松永弾正の放火で焼失したが徳川二代将軍家光の嫡男の子宝に恵まれず祈願し授かったので家光がこの寺を再建したと言う。近年美智子皇后、始め皇族方の岩田帯献上の縁の寺である。


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