浪速今昔百景(十一)生國魂神社
浪速今昔百景(十一)生國魂神社
古代より上町台地に鎮座する。難波大社と呼ばれ、創建は神武天皇が東征の時に難波津に上陸されたときに神武天皇が、国土の神である生島神、足島神を今の大阪城辺りに祀ったのが始まりと伝わる。飛鳥時代、孝徳天皇の時代には神域であった事を日本書紀が伝え祭神の生島大神、足島大神大八洲の御神霊と記されている。平安時代には宮中に於いても生島巫によって祀られ、難波の海浜での古代祭祀「八十島祭」の主祭神である。当初は今の大阪城辺りに祀られていたが、信長とも一向宗の石山合戦によって焼失したために豊臣秀吉が大阪城築城のときに現在の地に寄進したと伝えられている。その時に造営された社殿は千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風の三重に破風を乗せるといった様式であった。所が大坂夏に陣で出炎上焼失した。その後徳川の世で秀忠が再建したが太平洋戦争の空襲で焼失した。戦後昭和二十四年に木造の社殿を再建されたが、翌年にジエーン台風で倒壊し昭和三十一年に鉄筋コンクリートの生国魂造りの本殿を再建された。「いくたま夏祭」は生玉、天満、住吉と大阪三大祭である。広い境内には池や庭園に様ざま石碑がこの神社の由緒、社格を物語り、上方芸能文化発祥の地として、上方落語の始祖、米澤彦八を顕彰する「彦八まつり」も知られている。摂社も十一社を数え淀君を祀る守護神「鴫野神社」や近津門左衛門を始め文楽の関係者を祀る「浄瑠璃神社」が鎮座している。
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