2009年11月21日土曜日

神仏霊場巡り   車折神社



神仏霊場巡り  車折神社
京都は太秦に近く、嵐山に程近い街中にひっそりとその境内が森林に包まれた、車折神社の祭神は清原頼業公で後白河法皇の近臣で儒学者、高倉天皇に仕え侍読を勤め「明経道の棟梁」と呼ばれた。元々この辺りは舎人皇子の末裔の清原氏の菩提寺宝珠院の境内に当たり本殿はその頼業の墓と伝えられる。その社名になった車折は平安時代には後嵯峨天皇の牛車の牛車轅が折れたが一歩たりとも動かず社前に社があること知り「車折明神」の神号と正一位の贈ったという。
境内には祈念神石を置いて願いかける慣わしがあってうず高く積まれている。また天宇受売命が祀る「芸能神社」があって多くの芸能人の名前を連ねている。

2009年11月20日金曜日

神仏霊場巡り  仁和寺






神仏霊場巡り  仁和寺
世界遺産に登録され、御室御所として平安時代に光孝天皇の西山勅願寺として創建、宇多天皇が先帝の意志を引き継がれて仁和寺は完成されたと言う。洛西にあって双ケ丘の北に有って皇室縁の雅な寺院である。代々皇子、皇孫によって引き継がれ法皇門跡の寺院の中で筆頭にある。真言宗は御室派の総本山である。往時の堂塔は応仁の乱で焼失、後水尾天皇によって再興、徳川幕府の援助を受けて紫宸殿、御影堂、清涼殿などが移築されて今の優美な伽藍が完成重厚な仁王門、五重の塔が完成された。本尊は阿弥陀三尊像、その他に孔雀明王画像など多くの国宝を有し、春に秋に見事なまでに堂塔を背景に調和した庭園は必見、名勝御室桜は京都の代表の一つの桜、御室華道流の家元として広く文化的活動を続けている。

2009年11月3日火曜日

神仏霊場巡り須磨寺




神仏霊場巡り 須磨寺
兵庫の古刹、通称は須磨寺と言う正式には福祥寺といって平安時代の886年に聞鏡上人が光孝天皇の勅命を受けて七堂伽藍に本尊は和田岬の海中から引き上げた観音像を祀っている。寺には平家物語の名場面の一の谷の合戦に平敦盛と熊谷直実の一騎打ちが庭に再現されていて、敦盛の「青葉の笛」や「弁慶の鐘」弁慶が長刀の先に懸けて担いできた鐘など縁の宝物が残され、良寛、芭蕉、蕪村、子規、など時代の著名人の名が見える。弘法大師縁の真言宗の寺として「須磨のお大師さん」として親しまれている。

2009年11月1日日曜日

神仏霊場巡り湊川神社





神仏霊場巡り    湊川神社
楠公縁の地である、神戸の湊川は楠正成が南北朝時代に湊川の合戦に殉死した正成を慕って土地の人々の願が聞き入れられ、明治維新を機に明治天皇の創始の沙汰が下された。豊臣時代にはこの墓所を免地にされ、水戸光国は「嗚呼忠臣南子乃墓」と墓碑を建立、幕末には維新の礎となった、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、西郷隆盛など獅子といわれる人々が墓参した。明治に入って伊東博文が明治五年に別社官幣社に働き掛け墓所、殉節地を含む境内に寄与した。

2009年10月31日土曜日

神仏霊場巡り長田神社






神仏霊場巡り  長田神社
神功皇后が創始したと伝えられている、廣田神社、生田神社と並び神功皇后が神占で事代主神「吾をば御心の長田の国に祀れ。鶏鳴の聞こゆる里は、吾が有縁の地なり」と言うお告げで長田川の中央を流れる中州に建てられた。以後鶏の鳴く地に鎮座されたので、鶏は神の使いとされ氏子は代々鶏を食べなかったと言う。以来皇室の崇敬深く、武門の崇敬も集めている。またこの神社に伝わる追儀式の神事は七名による鬼役による、松明を振りかざす厄払いの神事は兵庫県重要無形民俗指定になっている。

2009年10月26日月曜日

ひこいちの江戸〔東京〕歴史探訪










ひこいちの江戸〔東京〕歴史探訪記
十月二十三日~二十四日かけて在野史、郷土史の趣味の仲間が集まって、東京に本部をおく「歴史研究会」主催の第二十五回首都圏大会が挙行され大阪で活動する(ひこいち)ニックネームの私は歴史愛好家は一泊二日の江戸(東京)探訪記に出かけた。このレポートはその時の記録である。
前回は出雲島根大会、その前は信州長野大会、その前は近江滋賀大会と全国の仲間と合い土地柄、風土、地域の歴史文化に触れるのが楽しみである。
大会の様子は割愛するが、江戸歴史探訪記として三箇所を写真、レポートすることにした。大会の二日目のスケジュールはバスで江戸東京博物館である、続いて増上寺で(経蔵・本堂・霊廟)でうち本堂以外は一般公開されて要らず必見であるが経蔵は雨天のために中止、霊廟のみ野拝観。続いて浅草、浅草寺で時間の都合上一般公開されていない「伝法院」の庭園のみである。もう一つは私の個人的探訪で時間があれば品川のホテルの待ち時間の間に訪れてみたかった「泉岳寺」である。日本国で国宝,重要文化財は関西の京都や奈良と思いがちであるが、都道府県の中で実は東京都が一位で2082件、二位京都府で2049件である、三位奈良県、四位が滋賀県、五位が大阪府である。
前段この位で数ある文化財の中で、たまたま企画された増上寺と浅草寺は仏教史好きの私に巡り合せた運命のようなもの、浄土宗本山知恩院は一年に何度か訪れる寺院である。宗祖法然上人の関東の大拠点である。しかも徳川家の菩提寺で徳川家康の江戸入府と共に宗勢を拡大し三千人の僧侶が修行する一大道場であった。一方天海の影響で勢力を広めた天台宗とは、その覇権を巡り凌ぎを削ったと見られる。将軍墓所としても二代秀忠,六代家宣、七代家継、九代家重,十二代家慶と六代づつ墓所があって、上野寛永寺と二分するもので徳川家への絶大なる信頼が窺える。
浅草は浅草寺は東京随一の観光名所である。本堂(観音堂)五重塔、仲見世、雷門、二天門、宝蔵門など数ある中で一般公開されていない、大都会の中に唯一静寂を味合えるのが「伝法院」である、浅草寺の本坊であるが何より「小堀遠州」の庭園ある。それは初心を見てもらった方が納得頂けるのではないかと思う。もう一見の寺院は品川「泉岳寺」で個人的に訪問したい寺院で二十八年前に両親、子供と夫婦の六人家族で父の東京巡りの希望で三つ「靖国神社、皇居、泉岳寺」の大正二年生まれの軍人だった父の望みだった。その泉岳寺を訪れた二十八年前も今も余り変わっては居なかった。忠臣蔵は忠孝の精神は戦前の日本人の支えた精神文化でもあった。曹洞宗の江戸三カ寺の一寺、元禄時代に主君の仇を打つべく本懐を遂げて、主君の墓前に報告の為に泉岳寺に、「忠臣蔵」として赤穂浪士は浅野内匠頭に報告する物語は時代を越えて日本人の心情を揺さ振るものである。河内生まれの私の、この度の一端の訪問は平成江戸見聞録とでもいうか、小さな江戸再発見、再考と言えると思う。

2009年10月14日水曜日

神仏霊場巡り妙法院





“妙法院”
京都は東大路に面し妙法院はあの有名な蓮華王院の三十三間堂とは一体である事知られていない。本尊は普賢菩薩、天台宗は問跡の寺院である。開山は天台宗座主快修が住持した比叡山は西塔の本覚院に始まり、後白河天皇が東山は阿弥陀ケ峰に法住寺を造営に熊の本宮と比叡山の鎮守日吉社のご神体を勧請して創建したそうである。その後皇室の後醍醐天皇の皇子尊澄法親王が門主となり、天台座主なられ「妙法院、青蓮院、三千院」の宮問跡寺院である。その後応仁の乱で焼失し、豊臣秀吉が方広寺の造営と共に妙法院を再建、徳川家康にも加護を受け方広寺、蓮華王院、新日吉社を管轄を決めた。