2009年4月30日木曜日

神仏霊場巡り 金剛輪寺

Posted by Picasa金剛輪寺
 湖東三山の名刹金剛輪寺は聖武天皇の祈願寺として行基が天平十三年(741)に開山された。本尊は聖観音菩薩で行基作と言われ、比叡山は延暦寺の慈覚が訪れ、天台の大寺隣、その後に義経が義仲を追討の為近江に来た折りに必勝を祈願し太刀を寄進したと言う。境内は広く水雲閣庭園を経て長い石段を息を切らして見える堂塔は古風荘厳、本堂大悲閣は国宝、優美な三重塔は重文、二天門、大行社本殿は重文である。寺宝の仏像には阿弥陀如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像、四天王像、など鎌倉時代の重文は多くこの寺に残されているが、戦国時代には信長に日を放たれ、徳川家、井伊家の寄進で再建された。本尊の聖観音菩薩は秘仏で行基作と言われている。また長い参道に見る千体地蔵は多くの信者の深い祈りを感じ取られ、秋の紅葉は「血染めの紅葉」と言われ西方浄土への導きと信仰されている。

神仏霊場巡り  多賀大社

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多賀大社
 地元では「お多賀さん」と古来、親しみを込めそう呼ばれている多賀大社の祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神で「お伊勢参らば、お多賀に参れ、お伊勢お多賀のお子じゃもの」と鉄道の開通により諸国より列を成して参ったと言う。神話に出てくる伊邪那岐、伊邪那美は天照大神他万物を生んだ創造の神で知られている。社殿は優美で荘厳な桧皮葺、流れ造りの左右対称の回廊、前に入母屋造りの拝殿、朝野の信仰が絶えず元正天皇の頃より病気治癒祈願より、歴代天皇はもとより大鳥居をくぐると石の太鼓橋(太閤橋)奥書院、蔵などは秀吉の寄進と言う、秀吉の崇拝深く、大政所の為に一万石寄付をしたが幾度となく火災に遭いその都度再建された。

神仏霊場巡り 湖東西明寺

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神仏霊場巡り   長濱八幡宮

Posted by Picasa長濱八幡宮
 滋賀県は長浜市は宮町通り古い町並みに盛り上がった森に、鳥居拝殿、本殿に八幡社に珍しい神明造り、祭神は東御前に足仲彦尊、中御前に誉田別尊、西御前に息長足姫尊、摂社に天満宮に菅原道真、金刀比羅宮に大物主命、都久夫須麻神社に弁財天、高良神社に武内宿禰、末社に末広稲荷神社、地主神社、熊野神社が祀られている。創建は源義家が後三条天皇の勅願を受けて京都は石清水八幡宮を分霊されて鎮座されたと言う。往時は一山七十三坊と広大な社域と社領を有していたが戦火に焼失、時代は戦国時代羽紫秀吉が長浜城主に成ってからは再興された。何と言っても日本三大祭の山車祭りは伝統的動く文化財と思われるほどの当社の曳山十二両が町内をひきまわったのが始まりと言う自慢の祭りである。また明治の神仏分離令までは隣の古風な堂塔の舎那院は八幡宮の別当寺で空海が開いた由緒ある寺院である。

2009年4月21日火曜日

神仏霊場巡り  金峯山寺

Posted by Picasa神仏霊場巡り 金峯山寺
 山岳信仰の拠点、役行者の原点は吉野の金峯山寺は大峰山寺と共に山伏、修験者“聖地霊地”である。昨今世界遺産にも登録されて大阪などから遠方にもかかわらず訪れる人が多くなった。役の行者が葛城山中で修行を重ねていたのを吉野山中に踏み入れたのは奈良時代のことであった、大峰山は山上カ岳で蔵王権現を感得、山上と山下吉野の二箇所に祀ったのが始まりと言う。大峰奥駈と厳しい修行の業場を広め山岳信仰の奥義を深めた。その後は朝野の信仰を集め白河上皇や藤原道長などが大峰詣が盛んになって言った。今尚神聖な大峰山は日本で唯一女人禁制である。


2009年4月19日日曜日

神仏霊場巡り 壷阪寺(南法華寺) 

神仏霊場巡り 壷阪寺(南法華寺)
 南大和は壷阪寺は目のご利益で浄瑠璃また浪曲や歌舞伎などで有名な「壷阪霊験記」に語られた“お里 沢一”の物語で知られ今もその精神が引き継がれ不自由な人々への福祉の心は深い信仰と西国三十三所の札所として古くより人々の巡礼の絶えることが無く、連綿と観音巡礼者に宗派を越え伝えられている。創建は大宝年間の元興寺僧の弁基が建立したという説が有力、その後瓦の出土や塔の心礎の様式で白鳳時代の創立と裏付けられ、八四七年には長谷寺と共に官寺の定額寺とされ、法相宗から真言宗の一大道場になり室町時代の礼堂、三重塔(重文)が残されインドからの花崗岩製の大観音像は話題を呼び境内には巨大な仏像が目を引くまた顔面に刻まれた五百羅漢は見事な描写である。目の見えない人たちへや匂いのする花々の意向の道など福祉活動への深い造詣が観音霊場功徳と救済の寺院の端々に見える名刹である。
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神仏霊場  丹生川上神社上社



神仏霊場巡り  丹生川上神社上社
 龍神の神の総本社で諸国に龍神社数ある中で総本者がこの神社で中、下とある事を知るものは少ない。大峰山参りの吉野川沿いにあって山岳信仰難所の中にあって中々この地に行くのも厳しい立地に秘境であった。今日交通の便が良くなったとはいえ今も急な勾配と曲がりくねった道である。四十年以上も前の話であるが大峰山参りでこの辺りを通った折りはダム完成前で今と状況は変っていて今は国道のかなり上に遷座していて当時の面影がないらしい。祭神は高龗大神、相殿大山祇神、大雷神 末社に山之神社、水神社 恵比寿神社 愛宕神社である。龍神は水を司る神で古来農業の雨乞いの神で、また治水、水難からもご利益を願い信仰されていて、この神は伊弉諾尊が火の神かぐつち神をきりたもうた時に生まれた神である。遷座された新しい社殿には資料や元境内のご神木の巌や御霊、など保存されていて祭礼などは受け継がれている。元本殿跡遺跡には平安時代の本殿壇跡が発掘されてその古さは知られている。
 
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2009年4月12日日曜日

神仏霊場  日吉大社



神仏霊場巡り 「日吉大社」
全国日吉社の総本宮の日吉大社は比叡山の麓、坂本にある。
創建は祟神天皇の勅命で大山咋神を山上に祀らせ小比叡と称したのが始まりと言う。天智天皇の世に鴨賀島八世の孫宇志麿に勅して、大物主命を比叡山に祀らせ以後主祭神を西本宮を大己貴神、東本宮に大山咋神で他に五神、宇佐宮に田心姫神、牛尾宮に大山咋神荒魂、白山宮に菊理姫神、樹下宮に鴨玉依姫神、三宮宮に鴨玉依姫神荒魂の七社で山王七社が祀られて全国に白山神社三千八百余の総本宮で境内は八王子山を中心に十三万坪にも及ぶ広大な敷地に国宝二棟、社殿十七棟(重文)を有し上下二十一社、上七社、中七社、下七社のほかに境内百八社、境外百八社と坂本の隅々まで神域である。比叡山延暦寺を開山した最澄の頃にはその鎮守として「延喜式」に名神大社に列し、わが国を代表する二十二社のも加えられた。歴代天皇の行幸も多く平安時代には神仏習合の両施設が混在し荒法師の僧兵の強訴の神輿の場となった。
 信長の比叡山焼き討ちのあおりで衰退したが豊臣秀吉、徳川家康によって再建され明治維新の神仏分離令で元の神社としての形になった。境内清流を流れる大宮川に架かる重厚な石橋の大宮橋、走井橋、二宮橋は秀吉の寄進によるもので秋の境内の紅葉は絶景である。
 


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