2009年5月31日日曜日

神仏霊場巡り根来寺

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神仏霊場巡り根来寺

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神仏霊場巡り 根来寺

神仏霊場巡り  根来寺
根来寺は紀ノ川沿いの高野山と反対側の対岸にある。今日真言宗は古儀真言宗と新義真言宗の大別されるが、八百年余り前は肥前は生まれ仁和寺で出家し修行した覚鑁は上人は高野山に上った。覚鑁上人伝法院を建立し弘法大師の没後の改革に取り組み座主として活躍をしていたが、旧勢力の対立する僧侶に破れ高野山の対岸の地に落ち延びた。この地に拠点を構え多くの弟子達を育成してこの地で没した。ここに新義真言宗が誕生した。その後後継者頼瑜が引継ぎ大いに栄え寺領七十二万石、二千七百カ寺を有する大教団と僧兵を持っていたが秀吉と対立し悉く焼失し離散した。その中に真言宗豊山派の元と成った専誉と真言宗智山派の元と成った玄有がいた。その後根来寺には覚鑁の教えを守る根本道場として再建され国宝の根来寺大塔と大師堂、重厚な大門、大伝法堂、など多くの堂塔伽藍を有し庭園は必見である。

2009年5月30日土曜日

神仏霊場巡り   水間寺 水間観音

Posted by Picasa水間観音」龍谷山水間寺 天台宗 本尊聖観世音菩薩 新西国四番札所
貝塚市水間六百三十八番地 「水間観音」の水間寺は南海貝塚駅より水間鉄道で終点水間駅下車五百メートル 高速阪和道貝塚インターすぐにある。
泉州は和泉葛城山を背になだらかな山間にあって、和泉随一を思わせる堂々たる伽藍の水間寺の創建は古く奈良時代は聖武天皇の勅願所として、行基の開山によって、身の丈一寸八分の聖観世音菩薩を、行基に御霊告によって、この地に求めて来て白髪の仙人に出会い「聖観世音菩薩」を祀りお堂を建立したのが始まりという。
その後、天正十三年に豊臣秀吉が根来攻めの折り際その臣堀秀政の軍勢によって火が放たれて、七重伽藍を始め坊舎などが火焔に包まれ灰塵と化したのである。その後、徳川時代岸和田城主の岡部美濃守は名刹水間寺を亡びることを惜しみ本堂と三重の塔などを再建されていった。。
水間寺は新西国四番札所として地元に及ばず遠方からの参拝の人の途切れは無い。境内には裏の川を隔て「行基堂」「薬師堂」「「弁財天堂」本堂の東に「愛染堂」、その前に近松門左衛門の「お夏清十郎笠物狂」などで有名な「お夏、清十郎の墓」がある。
また与謝野蕪村も「ここに今日、お馬水かえ、水間寺」と句を残している。

神仏霊城巡り  犬鳴山七宝龍寺

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神仏霊場巡り犬鳴山七宝龍寺

七宝瀧寺 真言宗犬鳴派 本尊倶利伽羅大龍不動明王 近畿三十六不動
泉佐野市大木八 JR阪和線日根野駅下車または、南海本線佐野駅下車バス犬鳴山行き中大木下車、徒歩一時間半から二時間
開山「役小角」創建斉明七年。参拝は難所中の難所と言える。行者の修行の滝のある行場である。行者と言えば不思議な魔力を持ち、天狗、仙人を越えた超能力を持ったのが「役小角」である。大峰山、吉野の山々奥深く修行の末、行場と諸神仏を祀りその界隈を拠点にして後世に大きな影響をのこした。その「役小角」が最初に拠点として修行の場としたのが「元山上、葛城二十八修験根本道場」である。
もともと七宝瀧寺と下手の火走神社と一体だったが、明治の神仏分離令で別に運営されている。険しい峡谷に七つの滝があって、夏場でも冷やっとして今日でも、その行場で白衣で命懸けで滝に打たれている人を見かける、ニュースの映像で見る事がことが出来る。
正平七年(1362)紀州の粉河寺の渓閑和尚が土丸城主の援助を受け再興したが、秀吉の根来攻めにより本堂以下焼失、寺領も失ったが、その後岸和田城主岡部氏により寺領が寄進されて復興したが、再び明治の修験道の禁止で衰退したが、戦後葛城修験道の復活を目指しているところである。

2009年5月26日火曜日

神仏霊場巡り 丹生都比売神社

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神仏霊場巡り 丹生都比売神社

紀ノ川から三十分はあろうか険しい山道を上り詰めパット目の前が開けた田園風景はまさに桃源郷、その天野盆地にこの辺りの峰々を広大な社域を持っていた丹生都比売神社に、空海がこの地に真言宗の本山を開くに当たり借り受けたと言われ高野山(狩場明神の神域)に、真言宗に取り重要な神社である。紀伊の国一の宮に相応しい社殿は絢爛豪華で荘厳さと威厳に満ち満ちて風格はこの辺り随一であろう。祭神は丹生明神、狩場明神(高野御子大神)、気比明神、厳島明神の四神で、全国の丹生都比売神社の百八十社余りの総本宮である、丹生神社は鉱物、水を司る神で特に朱を意味し魔除けの力があるとされ、朱塗りの太鼓橋は日本一の大きさで、楼門と春日造りの本殿の色鮮やかな朱色はかつらぎの郷に古くよりこの盆地に融け込んだ景色である。

神仏霊場巡り  丹生官省符神社

神仏霊場巡り 丹生官省符神社
高野山の麓、九度山にある慈尊院の上に長い石段を上った所にある。明治の神仏分離令の前は慈尊院と丹生官省符神社とは神仏一体であった。慈尊院の境内から百十九段の上に大きな朱塗りの鳥居が見える。祭神は丹生都比売大神、高野御子大神、天照大御神で古くは丹生高野明神、丹生七社大明神と呼ばれていた。官省符の名は荘園などの管理をする役所、政所が置かれたことに由来するそうである。祭神も七社の由来は室町時代に、気比神、厳島神の四社が紀ノ川
沿いにあったが洪水に流されて慈尊院と共に移転、往時には七社に加えて十二王子社、百二十番社が有ったがこの地に移転をして現在の形になったという。

神仏霊場巡り 慈尊院

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神仏霊場巡り  慈尊院

神仏霊場巡り 慈尊院
空海の母阿刀氏の建てた庵と言う、高野山は女人禁制のため空海に会うことが出来ないので母に会う為に付に九度、この庵に足を運んだのに因み「九度山」の地名が付いたという、母の信仰していた弥勒菩薩を供養の為に本尊とした寺院を建立、弥勒の別名慈尊を寺名を「慈尊院」と称し本尊の弥勒菩薩は秘仏二十一年に一度開帳される。また高野山の経典、帳簿等管理する「高野政所」として堂塔も多宝塔など高野山の表玄関として、白河上皇、鳥羽上皇の御所、藤原道長や公家の宿所としての格式を有していた。境内の上に丹生官省符神社(荘園の公文書を管理発行)があって明治の神仏分離令の前は寺社一体の霊地、聖地で信仰を集め、官としての役所的な役割も有ったのではと思われる。

2009年5月9日土曜日

神仏霊場巡り 室生寺

Posted by Picasa室生寺
古くより女人高野として真言宗の道場である。創建は役行者と伝えられる一方、宝亀年間に興福寺の僧賢璟(かいけい)が山部親王(桓武天皇)の病気平癒の祈願の為に室生寺を開いたとも伝えられる。その後弟子の修円が堂塔、伽藍を整えた。修円は最澄、空海とも親交深くは山岳信仰の道場として、天台、真言などのを取り入れて、女人禁制の高野山に対して女人高野として女性の信仰の道場として親しまれた。寺宝に金堂(国宝)には本尊の釈迦如来像(国宝)薬師如来像、地蔵菩薩像、文殊菩薩像、十二神勝像(各重文)十一面観音菩薩像(国宝)潅頂堂(国宝)五重塔(国宝)ほかまさに国宝、重文、宝庫である。

神仏霊場巡り 長谷寺 本堂

Posted by Picasa長谷寺
山号を豊山と呼び道明上人が天武天皇の為に開山し、後の神亀年間にと徳道上人が聖武天皇の勅願によって本尊十一観音菩薩像を祀り、西国三十三所霊場を開かれたと言う。その後初瀬の長谷寺は観音根本道場として進行が広まっていった。その後天正年間に専誉僧正が入寺再建し新義真言宗豊山派総本山として寺院三千カ寺二百万の信者を有する宗派として、その歴史と寺宝も多く銅板法華説相図、法華経(国宝)十一面観音菩薩像、両宝童子像、難陀龍王立像、銅像十一観音菩薩像、地蔵菩薩像、宋版一切経(重文)などがある。また鐘楼より千年絶え間なく朝六時、正午にほら貝の音が峰々を響き渡る荘厳な場面に出会えることが出来る。また花の御寺として牡丹は有名で境内の階段の淵に植えられている。

神仏霊場巡り 室生寺

2009年5月5日火曜日

神仏霊場巡り 三室戸寺

Posted by Picasa三室戸寺は西国10番札所として創建は古く光仁天皇の勅願によりこの寺の奥の岩淵出現したのが千手観音菩薩である。修験宗の別格本山として朝野の信仰が深く多くの文化財を有している。

神仏霊場巡り 平等院

宇治を代表する平等院は関白藤原頼通によって創建され阿弥陀如来(国宝)を安置する。前の浄土式庭園Posted by Picasaとその優雅なお堂は10円硬貨の図案絵柄になっている。

2009年5月2日土曜日

融通念仏宗大念仏の寺「万部おねり」五月の大阪の無形民俗文化財

Posted by Picasa大阪の五月の風物詩。大阪指定無形民俗文化財。伝統的行事は五月1日から5日まで行なわれる。