2009年3月4日水曜日

神仏霊場巡り  朝護孫子寺

神仏霊場   朝護孫子寺
 信貴山と言えば「信貴山縁起絵巻」本尊は武運の守護神で、厄除け開運成就の「毘沙門天」で関西ではお馴染みの信貴山寺は「朝護孫子寺」正式寺院名である。信貴生駒連邦の南の端に舞台造りの本堂他山内塔頭と多くの堂塔が点在している。 創建は聖徳太子が物部氏と戦いの折りにこの寺の本尊毘沙門天に勝利を祈願したのが始まりと言う。勝利した太子は山号を「信じるべき貴ぶべき山」として命名、寺号は延喜年間に中興の祖と仰がれる命運が「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」願ったことに由来する。また南北朝の時にはこの寺に祈願して生まれた子だと言う楠正成は、毘沙門天の別名多聞天にあやかり多門丸と呼ばれていたと言う。天正七年に寺の上の方に築かれた信貴山城を築いた松永久秀が織田信長に攻められて自害しその時も戦渦に巻き込まれて多くの伽藍、堂塔が焼失をした、その後豊臣秀頼によって再建された。
* 信貴山縁起絵巻。国宝で漫画風の三巻で物語をリアル画いた巻物。
“飛倉ノ巻“は平安年間に信貴山で毘沙門天を祀り、中興の祖命蓮の不思議な法力で”倉を乗せた鉢が飛び上る物語を描いた絵巻。
第二巻は”延喜加持ノ巻”醍醐天皇の病を治す為に高僧の祈祷を受けるが改善せず、信貴山の命蓮に白羽の矢が当たり、京都に赴く事を断りこの地で祈祷を伝える。法力により都の天皇の病を治癒する物語。
第三巻”尼公ノ巻“命蓮と姉の尼公との再開の物語で、信州から大仏殿のぬかずく尼公の姿があって西へ向かって信貴山で再開、生涯この地で暮らす物語である。

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