聖地霊地を巡る 播州清水寺
播州の西国観音の古刹と言えば「播州清水寺」と「一乗寺」である。
共に日本の仏教伝来の前にインド僧の「法道仙人」と伝えられる。清水寺は播州といっても丹波の国に近く、渓谷を抜けて一望できる海抜五五二Mの御嶽山の山頂に堂塔がある。交通の不便な時代には難所の一つであったと思われる。
創建は推古天皇の勅願により、法道仙人が根本中堂を建立。本尊は仙人が一刀入れるごとに三礼して刻んだ秘仏「十一面観音菩薩」と脇侍の毘沙門天,吉祥天を安置し豊作と国家安泰を願った。寺名について山頂ゆえに水に苦労したが法道が水神に祈願したところ、霊泉の「滾浄水(おかげみず)」と名付け「清水寺」の由来にもなったという。
その後、奈良時代に行基がこの地を行脚し、聖武天皇の命により諸仏を刻み、大講堂を建立し安置した。また平清盛の母祇園、女御がこの寺の観音霊像に帰依し大講堂を寄進した。
後白河法皇が常行堂などを、源頼朝は阿弥陀堂を寄進した。
「今昔物語」にも播磨国東北に霊験あらたかな霊峰が有ると記されている。
所が大正二年に大火の為に焼失、全山諸堂伽藍は焼尽と化した。
その後昭和に掛け再建がなされ、今日の堂塔が再現されていった。
境内には階段を登ったところに重厚な根本中堂に、札所霊場の大講堂、法道仙人が水神に祈願し湧水の滾浄水、清盛の寄進の薬師堂は、地蔵堂に堂々と重厚な望楼、
大正二年に焼失した諸堂跡、山頂ならではの「月見亭」などが境内に静かな佇まいを見せている。
西国巡礼の祖と仰がれる「花山法皇」は清水寺を巡拝され、御詠されて以来、「西国二十五番札所」と称されるようになったと言う。
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