浪花今昔百景(九十九)旧陸軍第四師団司令部庁舎
大阪の鎮台として歴史は古く、創建間もない頃、佐賀の乱、萩の乱、聖何の役とに従事した。大阪は商人の町、その商人の割合の多い大阪連隊は、切り込んでくる薩摩武士を相手に損害を出すが奮戦し、明治天皇より直々にその勇敢、勇戦さを賞された。日清戦争には遼東半島に上陸し警備に当たった。日露戦争には小川師団長の元、参戦し、太平洋戦争ではフィリッピン攻略に参加し、タイ、ビルマと転戦し終戦を迎えた。司令部は1931年の天守閣が再建と同時に、城内に分散していた司令部を集約一括し建設されたのが現在の残された建物である。これを機に一般民間の立ち入りが許されて公園と整備された。大坂城再建のために大阪市民から寄付が集められ、その一部が80万円が寄付されて司令部本庁舎が完成した。戦後は進駐軍が接取し、大阪市警視庁(当時は大阪にも警視庁が置かれていた)、大阪府警本部として使用、その後大阪府警察本部が大手通りに移転し、大阪歴史博物館として移転した。その後大阪歴史博物館も移転し、今は戦争遺跡として残っている。
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