2011年10月10日月曜日

神仏霊場 神峯山寺


神仏霊場巡り  神峯山寺
高槻は今日と西山に抜ける東海自然歩道は「神峯山寺」の標識辺りから細い山道、車のすれ違いも難しい、曲がりくねった山間を行くと谷川の向こうに山門が見える。境内を行くと石段の上には、風雪を感じる古風な本堂には日本最初の毘沙門天霊場で古くより信仰され、別名多聞天と呼ばれ、開山は役行者で本尊の毘沙門天(別名多聞天)は役行者が刻んだものである。修行中の葛城山の山中で、北側の山中に光明を射すのを見てこの地に来た役行者は金毘羅童子に霊木を教えられ刻んだのが四方に光を放ち、一つが京都は鞍馬寺、一つは河内は信貴山の毘沙門天に、一つはこの山の北の峰に飛び散り、根元の残った像がこの寺の本尊になった。奈良時代には光仁天皇の子の開成皇子が帰依し多くの伽藍を寄進した。光仁天皇の勅願により境内には天皇の頭髪を納めた十三重の塔があり、その後に足利義満や豊臣秀頼の寄進が寄せられ大いに栄えたが江戸中期に多くの堂塔が焼失した、往時二十一坊もあった姿には戻らなかった。現在は五坊で法灯を役行者の伝統を受け継いでいる。

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