2010年1月16日土曜日

神仏霊場巡り  鹿苑寺(金閣寺)






神仏霊場巡り  鹿苑寺(金閣寺)
京都は夏の盆の五山の送り火の左大文字の麓に、京都の観光を代表とする鹿苑寺(金閣寺)がある。銀閣寺と同じ禅宗は臨在宗相国寺派の末寺であるが、鏡湖池に姿を映し、その神々しく輝く金箔に貼られた三重閣、一層は寝殿造り「法水院」二層は和様仏道風の「潮音院」三層は禅宗仏殿風の「究竟頂」の輝く三様と池との絶妙の光景は見る者を圧倒をする。室町幕府三代将軍足利義光は西園寺公恒経の山荘の跡を譲り受け金閣を建立したのが始まりで銀閣寺の東山殿の対し「北山殿」と呼ばれ、ここは当時の外交の社交場に使われて使節団が訪れたと言う。その後応仁の乱で焼失、昭和に入っても放火で焼失し戦後に優美な姿が再建された。

2010年1月15日金曜日

神仏霊場巡り 平野神社




“神仏霊場巡り  平野神社
衣笠山の麓に平安遷都に伴い平城京の田村後宮から遷座された。祭神は今木皇大神、久度神、古開神、比売神が祀られて延喜式の祝詞には「皇大御神」「皇大神」と尊称され、社格は皇城を鎮護する二十二社の五位に列せられ、円融天皇が行幸され、皇族よりじ臣籍に降下した、源、平、高階、清原、大江、菅原氏などの氏神とされ、伊勢神宮、賀茂、石清水、松尾社に次ぐ名神に数えられた。重厚で神々しい社殿は(重文)檜皮造りの一間社春日造りの四殿を二殿づつ繋ぐ構造は「平野つくり」と言われ藤原北家によって復古されている。後水尾天皇の拝殿の寄進、花山天皇のお手植え桜を因み境内で「平野夜桜」が催しが行われる。

2010年1月11日月曜日

神仏霊場巡り 慈照寺



神仏霊場巡り    慈照寺
東山三十六峰の北の端、京都は大文字の送り火で有名な如意カ
岳の麓に建つ慈照寺は通称銀閣寺、臨済宗は相国寺派で京都では金閣寺、清水寺と人気の高い観光スッポトである。室町時代八代将軍足利義政が浄土寺跡に建立し「東山殿」を前身とし、義政の供養の為に夢窓疎石が相国寺の周財を迎えて禅刹とした。錦鏡池を前に「銀閣」の名で親しまれる二層の観音堂は荘厳を極めたが、銀閣寺の象徴的正面の高く盛り上げた白砂は向月台と銀沙灘が目に入る、これらは江戸時代から設置され、深い配置の様式は禅問答のように思える。その後、幾多の戦禍に逢ったがそのたび修復再建された。明治の廃仏毀釈に大打撃を受けたが禅僧元禎らによって復興された。

2010年1月10日日曜日

神仏霊場巡り 青蓮院





神仏霊場巡り  青蓮院
東山は知恩院を北に粟田御所の名ある地に青蓮院がある。三千院、妙法院と並ぶ天台三門跡の一院、比叡山は三千堂の一つに東塔南谷に青蓮院坊に端を発し鳥羽法皇の勅で七子の覚快法親王が三条通りと白川に房に住寺して青蓮院と改称し青蓮院門跡寺院となった。青蓮院は代々明治に至るまで門主は皇族が勤め平安時代から鎌倉時代に掛け最も栄えて、皇族の帰依も深く、浄土真宗の祖親鸞もこの寺で九歳で得度し、本願寺の起この由縁の地であったために本願寺の法主は代々当院で得度しなければ公に認められなかった。応仁の乱に悉く焼失し、その後豊臣家、徳川家にも再建の帰依があった。この院の何より有名なのは「不動明王二童子画像」青不動で国宝中の国宝で日本三不動の一つである。また庭園は室町時代の相阿彌の作で、小堀遠州の補作とされ名庭園のひとつである。