2009年12月25日金曜日

一ノ宮探訪   伊賀一ノ宮敢国神社



「一ノ宮探訪」伊賀国一ノ宮
“敢国神社”
名阪国道「伊賀一ノ宮インター」から少し山沿いを入った所に伊賀国一ノ宮「敢国神社」が鎮座する。創建は千三百年前大彦命と少彦命の二神で敢国神社が創建された。その後、祭神は主神に大彦命、配神に少彦命・金山比咩命が加えられて三神になった。主神の大彦命は八代天皇孝元天皇の皇子として、祟神天皇の時代に四道将軍として北陸開拓の後のこの地、伊賀国に永住されたと言う、伊賀国の阿拝(あえ)郡を中心に安部、阿倍氏を名乗りあべ氏の総祖神でもある。また古代伊賀地方には渡来民族秦族が多数居住し、彼らの信仰の神が当神社の配神少彦神である。当時は現在より南山近くの山頂付近にお祭をしていたものを、創建時に現在地に二神を合わせ祭って伊賀人は混血の民族でもあった。元の南山に有った少彦神の地跡に美濃国の南宮社の金山媛命を勧請したと言う、その後九九七年に南山宮の金山媛命の社殿が虫食いによって崩壊したので、主家の藤原兼家に報告し敢国神社に合祀られたと思われる。この辺りの渡来人の秦氏は色々な技術文化を伝え組紐、伊賀焼き、酒造り、芸能の伝え田楽の祖の観阿弥も伊賀の出身である。また神社の伝統文化の獅子神楽の原型もこの神社が伝え、伊勢神宮の獅子神楽に大きな影響を与えた。金山彦命を祀る神社は全国に三千社有って鉱山、製鉄、製銅技術を持つ渡来人の祖先神であろう。中世には南宮菩薩として義経など入京に当たって参拝をしている。天正年間には戦禍で焼失、藤堂氏によって再建し、社領百七石を寄進し信仰をして崇拝をしていた。俳人松尾芭蕉も参拝し「手はかむ音さえ梅の匂いかな」の句を残している。明治に国幣中社になって伊が一ノ宮として信仰を集め、獅子神楽は、郷土芸能として三重県無形文化財に指定されている。

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