2012年5月16日水曜日

京都は葵祭り


葵祭り 下賀茂神社にて











“山城国一ノ宮下賀茂神社・上賀茂神社“
“賀茂別雷神社(上賀茂神社)”賀茂御祖神社“(下賀茂神社)
上賀茂神社、下賀茂神社とも日本の神社では一早く「世界文化遺産」に遺産に登録され多数の文化財、国宝を有している。山城の式内社は一二二座あって内名神大社五十三坐は大和国に次ぐ多さ、朝野の信仰多く、その格式は「延喜式」に名神大社として列し、伊勢神宮の次ぐ大社と称され諸国筆頭に位置した。山城国一ノ宮は二社、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社である。有名神社ひしめく平安京に有って何故に一ノ宮であったのかは謎が残る、
 二社とも洛北は加茂川の上流に有って、賀茂別雷神社(上賀茂)賀茂川と高野川の合流地点には賀茂御祖神社(下賀茂)が鎮座する。上賀茂神社の北北西に神山がそびえ、この山に降臨されたのが賀茂別雷神、自然信仰の地主神である賀茂県主の祖賀茂八咫烏と化して神武天皇の軍を導いたとされる。賀茂別雷神は大和の葛城の高鴨神社を拠点としていた所を山城に移り住み定住したと思われる。賀茂建角身命の娘賀茂玉依比売が瀬見小川の丹塗矢を見て感得し賀茂別雷神を生んだという。この辺りには縄文土器や石器、弥生遺跡が出土し賀茂族以前より、古代の豪族や集落あった事を推測され賀茂族と地主神の鎮守の神の合体する神の出現を考えさせられる。その後天武天皇の社殿の造営、平安京を遷都した桓武天皇の行幸と、歴代天皇の崇拝多く、行幸は六十回数えたという。京都に残る三大祭の葵祭りは神殿に葵を献し、全員が葵を着ける正式には“賀茂祭”という。上賀茂は山を背に木々に覆われ広大な境内は四万四千八百坪有し、社殿間を横切るように清水の小川が流れ、二の鳥居を入ると社殿の前に一対の神山を形どった砂立がある、神が降りる神籬は日本の風習に玄関の塩盛りの原形になっている。荘厳な社殿の数々は桧皮葺、本殿、権殿は国宝で他に三十四棟の重文を数える。 
下賀茂神社の広大な境内は十二万四千坪で境内の中心を参道に沿って泉川が流れ、「糺の森」は神聖な神の神域である事を感じさせ、優雅な王朝絵巻の「あずまあそび」が舞われる。
社殿は東本殿に玉依姫命、西本殿に賀茂建角身命が祭神である。「山城風土紀」には上賀茂、下賀茂両神社の由来は同じであるが、「日本書紀」には海彦、山彦の物語に出てくる海神の娘に出てくる「豊玉媛」の名前と同じで、神武天皇の母神と同じ同名異神である。摂社は三井神社、出雲井神社、言社、御手洗社など五十五棟もある境内社殿の中で、参道口横の「河合神社」は重厚な社殿は「延喜式」の名神大社で「鴨長明」はここの社家で、ここの神社で生まれ「方丈記」を書いた。 両神社は京都最古の神社として、総社として山城一ノ宮として上社、下社の二社で平安京を鎮守、鎮座した神社である。