2009年2月25日水曜日

神仏霊場  宝山寺(生駒聖天)

「神仏霊場」 宝山寺(生駒聖天)
生駒山頂より奈良県よりの盛り上がった大きな岩場に宝山寺がある、開山役行者が修行した霊地と伝えられている。その後空海も修行したと言う。今ではケーブルで宝山口で下車石段を上り鳥居をくぐり山門を右手に大地に開けたところに堂塔が立ち並ぶ、昔より商売繁盛の「生駒の聖天さん」と生駒駅から山門本堂まで長い石階段を登りお参りをしたそうである、生駒の駅前は色町として栄え大阪の旦那衆や街人が何かに付け繰り出したという参道に見る石灯、石碑の数の多さと建立の日付けや名前を見ればその往時が知れる。境内にはいると、宝塔。本堂、聖天堂、本堂の背後の絶壁の崖の中腹に開いた洞窟は、七世紀に開山した役行者の修行の場所で「般若窟」と言われ、その後湛海が江戸時代再興したと言う。湛海は伊勢の生まれ、高野山で修行、真言密教を学びこの寺で不動明王を刻み寺を起こしたと言う、本尊は不動明王であるが、それに増して人々の信仰を集めているのが「歓喜聖天」である、仏教の守護神で天部でも功徳はあるがその荒々しさは大聖歓喜在天といって像の形に男女抱き合っている双身像に秘められ「秘仏」になっている。この寺は代々郡山藩主の加護あって関わりが深く、東山天皇から明治天皇まで勅願寺となっていた。

2009年2月23日月曜日

「神仏霊場」巡り 石清水八幡宮

「 石清水八幡宮」               
 石清水八幡は宇佐八幡神宮、鶴岡八幡宮と共に日本三大八幡宮である。
八幡神は菩薩号を付して八幡菩薩とも呼び神仏習合の霊地でもある。
創建は清和天皇の御世、大安寺の僧行教が宇佐八幡宮に参詣した折りに「われ都の近く、男山の峰に移座し国家を鎮護せん」と神託を受けたのが始まりと言う。翌年の貞観二年清和天皇の命を受け社殿を建立した以後、清和源氏の氏神として源氏の守護神と成った。祭神は、中御前に応仁天皇、西御前に宗像三女神、東御前に神功皇后を祀っている。平安遷都されてから京都の北東の鬼門を比叡山延暦寺が、南西の裏鬼門を石清水八幡宮が司り、天皇、公家から朝野の人々に信仰が深く、天皇の行幸は二百五十回を数えたと言う。
社格としても二十二社の上位にして伊勢神宮に次ぐ名神とされている。だが神道と言っても明治維新の神仏分離令までは神仏習合の霊地として山内坊舎四十を数え峰々を「南無八幡大菩薩」などの読経の声明が響き渡り、形だけの神人(神職)が社殿で儀礼、祭礼を執り行なっていた。実際には寺院が管理し、平安から鎌倉かけては僧兵らが住持し牛耳っていた。
時代が鎌倉に移って「石清水八幡宮」を有名にさせたのは、「文永の役」と「弘安の役」で、蒙古来襲来の二度に渡る攻め入られた時に太暴風で元軍を撃退させた「神風」説が浮上し当時の日本人を驚かせた。
 弘安四年(一二八一)六月、七月にかけの襲来に、西大寺の叡尊は国家一大事危機と一門の僧三百人を率いて石清水八幡宮に入寺し、北嶺の延暦寺、園城寺の持戒僧七百人が加わり七日間昼夜を問わず「東風を以って兵船を本国へ吹き送り、来人をそこなわずして乗るところの船を焼き失わせたまえ」と「勝王経、仁王経、法華経」の転読、尊勝陀羅尼の勤行の太祈願をした。この国難に国中は挙国一致で亀山上皇、北条時宗は、伊勢神宮を始め、国中の寺社に祈願をさせた。鎌倉では日蓮が釈尊滅後二千年、末法の到来と「南無妙法蓮華経」祈願し、八幡の祈願は梵天、帝釈天の怒りを受けると幕府に迫り、自らも祈願をかけた。国中の祈願の甲斐あってか、二度の来襲は奇跡的に大嵐でからくも元軍は退散したが、その後誰言うともなく「神風」と語りつがれるようになった、有史以来国難にこれほど「一致団結」したこと記録にない。大国元国の前に侵略経験のない日本は混乱し、その不安や恐怖は計り知れない。
こうして波乱の渦中に生きた叡尊は建仁元年(一二〇一)大和国郡山生まれ、興福寺で学び諸国を遊学、三十五歳で荒廃した西大寺に入寺し再建、真言律宗を確立し、朝廷より信任厚く、弘安五年の四天王寺の別当補任を巡り、天台宗山門派延暦寺座主最源と、天台宗寺門派園城寺長吏隆弁の自派の推挙で争った折り、朝廷はどちらを選んでも波乱は必至、そこで混乱を避けるため「叡尊」を就任させた。
 

2009年2月16日月曜日

神仏霊場巡り  唐招提寺

Posted by Picasa奈良時代唐の高僧鑑真が日本の強い招きに6度目に失明をしながら日本の土を踏んだ、重職から解放され律宗の道場を開いたのが「唐招提寺」である。

神仏霊場巡り   大阪天満宮

 祭神が菅原道真・手力雄命・猿田彦命・野見宿禰でPosted by Picasa学問の神さんで大阪市民から親しまれているが疫病を祓う神としても愛されて古代の難波の宮を守護した地主神が鎮座する。道真の大宰府に流された後天暦三年村上天皇の勅願で道真の御魂を鎮める為に勅願で改めて創建された、夏祭りの船渡御は日本三大祭りの一つ数えられる賑わいを見せる大阪の風物詩である。

神仏霊場巡り 四條畷神社

Posted by Picasa南朝の忠臣楠正成と共に後醍醐天皇に忠誠を誓い「四條畷の決戦」で23歳で8万の軍勢に3千の少数で戦って敗れた楠木正行の霊を祭るため明治22年になって正行の墓の近くに創建された。

一ノ宮巡り 河内国枚岡神社

Posted by Picasa古来この地は大和、摂津の往来の重要な交通の要所で暗峠の入り口に当たり西向きの社殿には祭神天児屋根命・比売御神・天孫を補佐する神としてまた中臣氏の祖神として、鎌足が大化の改新以後一族の平岡連や支流の水走氏が神津岳から麓の地に遷座した。その後春日社へ分祀された、元春日と言われ宝亀5年に春日社の2神武髪槌命・斎主命の4神と成った。枚岡神社の神事で「粥占い」は有名で祭りの30余台の太鼓だいの「布団太鼓」勇壮である。

神仏霊場巡り  北野天満宮

Posted by Picasa
「天神さん」で諸国に親しまれている天満宮の総本社がこの北の天満宮である。学問の神様として祭神は菅原の道真、仁徳と聡明さで醍醐天皇に重用され右大臣に抜擢、その後藤原時平に讒言され大宰府に左遷、二年後亡くなった、その後都に不吉な出来事が続き、道真の怨霊と囁かれ北野の地に御魂を鎮める為に創建したのが始まりと言う。