2009年11月29日日曜日

神仏霊場巡り   竈山神社(和歌山市)



神仏霊場巡り  竈山神社
紀伊の国は神武天皇にまつわる伝説が多いが、この竈山神社も神武天皇の兄の「彦五瀬命」を祀る神社である。広い境内は静寂に包まれて、その中に荘厳な社殿が見える。神武天皇は兄彦五瀬命と共に、天下泰平の為に東征を開始した。九州は日向から、瀬戸内海に沿って、難波から大和に向かった。生駒を越えようとした折りに、登美長髄彦の抵抗に遭い,彦五瀬命は流れ矢を受け負傷したので紀州に南下するが紀国の男之水門から竈山に到着、そこに到着後崩御,彦五瀬命を祀った御陵が竈山御陵と言う事である。

2009年11月27日金曜日

神仏霊場巡り 西宮神社





神仏霊場巡り  西宮神社
毎年一月の戎日の「福男」のニュースで国民的話題になる、福の神「えびす宮総本社が「西宮神社」である兵庫は清酒の灘五郷にあるが、創建は定かではないが記述に出てくるのは平安時代は平田社歌合は「えびす」の名が出て高倉天皇の奉幣の始め皇族公家の参拝が認められている。社伝に拠れば鎌倉時代、十日戎の祭典の「忌籠」が斉行があって門前には「夷三郎殿の浜の市」と賑わっていたようである。室町時代には七福神によって全国津津浦浦にまで広まっていったようである。祭神は第一殿はえびす大神、第二殿は天照大神、大国主大神、第三殿は須佐之男大神である。甲子園がすっぽりと入ってしまうほどの広大な境内には本殿の前には庭園に百太夫神社があって本殿は徳川三代将軍の家綱が造営した珍しい「三連春日造」である。

2009年11月26日木曜日

神仏霊場巡り  廣田神社




神仏霊場巡り  廣田神社
武庫の地、廣田の国(芦屋、西宮、尼崎)に創建された古大社、「延喜式」にも名神大社に列せられ、祭神は天照大神、住吉大神、八幡大神、建皇産霊神が祭られ。「日本書紀」には随所に見られ、明治に入っては唯一の兵庫の官幣大社に列せられた。京都の西側と言う意味で「西宮」「西宮参拝」「西宮下向」と呼ばれこの地帯一帯を西宮と呼ばれ和歌の神様「西宮歌合」などの催しが社頭で歌合せが行なわれたと言う、一方、荒魂を祀る勝運の神として、武運の神様として
現代では「阪神タイガース」の恒例に開幕前の「必勝祈願」に訪れてニュースに報道される。平成十三年には御鎮座千八百年を迎え境内には伊和志豆神社を始め八社、境内外社十二社を持つ神明大社である。

2009年11月23日月曜日

神仏霊場巡り   大覚寺





神仏霊場巡り  大覚寺
大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」で現在は真言宗大覚寺派の本山である。元々嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」に端を発し、崩御まで嵯峨上皇が暮らした所、その後清和天皇より「大覚寺」を号することになり「定額寺」に改める事を勅許され皇子の恒貞親王を開山とした。嵯峨天皇は空海の真言宗に深く帰依し多くの加護があった。その後代々皇統による門跡として受け継がれ、大覚寺で院政を執った後宇多天皇の大覚寺統と呼ばれ、後深草天皇お持統院統と皇位を廻り南北朝の引き金と成った所である。応仁の乱で焼失したが後水尾天皇によってふっこうしたが。生花の嵯峨御流として格式のある生花の流派である。また大沢池に接した「庭湖」は国指定の名勝地に指定されている。何より各殿、諸堂を巡る庭園の眺めは絶景である。優雅な王朝絵巻を垣間見る事ができ静寂の中で世俗を忘れさせるものがある。

2009年11月22日日曜日

神仏霊場めぐり  天龍寺





神仏霊場めぐり 天龍寺
京都は嵐山も代表的古刹が天龍寺である。臨済宗天龍寺派で総門から塀を連ねる堂塔が並ぶ、創立は後醍醐天皇と南北朝で無くなった兵士の菩提を弔うために建立、足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建とした。この地は後醍醐天皇が幼年期を過ごされた所、夢窓は「天竜寺船」による中国貿易の進言で資金調達で
七伽藍が立ち並び「京都五山第一位」の寺格を誇り栄えた。その後幾多の戦火に焼失したが、その都度再建され禅堂の天井に加山又造作の「雲龍図」は有名、また大方丈西面に広がる景勝の池「曹源池」〔特別名勝〕は夢窓が池の泥をすくい上げたときに「曹源一滴」と刻まれた石が現れ万物の根源の意味の言葉が名付けられた。方丈から眺めた池を見て先人達はどう思ったのか、この池も時代の盛衰を見た証人だったのだろう。

2009年11月21日土曜日

神仏霊場巡り   車折神社



神仏霊場巡り  車折神社
京都は太秦に近く、嵐山に程近い街中にひっそりとその境内が森林に包まれた、車折神社の祭神は清原頼業公で後白河法皇の近臣で儒学者、高倉天皇に仕え侍読を勤め「明経道の棟梁」と呼ばれた。元々この辺りは舎人皇子の末裔の清原氏の菩提寺宝珠院の境内に当たり本殿はその頼業の墓と伝えられる。その社名になった車折は平安時代には後嵯峨天皇の牛車の牛車轅が折れたが一歩たりとも動かず社前に社があること知り「車折明神」の神号と正一位の贈ったという。
境内には祈念神石を置いて願いかける慣わしがあってうず高く積まれている。また天宇受売命が祀る「芸能神社」があって多くの芸能人の名前を連ねている。

2009年11月20日金曜日

神仏霊場巡り  仁和寺






神仏霊場巡り  仁和寺
世界遺産に登録され、御室御所として平安時代に光孝天皇の西山勅願寺として創建、宇多天皇が先帝の意志を引き継がれて仁和寺は完成されたと言う。洛西にあって双ケ丘の北に有って皇室縁の雅な寺院である。代々皇子、皇孫によって引き継がれ法皇門跡の寺院の中で筆頭にある。真言宗は御室派の総本山である。往時の堂塔は応仁の乱で焼失、後水尾天皇によって再興、徳川幕府の援助を受けて紫宸殿、御影堂、清涼殿などが移築されて今の優美な伽藍が完成重厚な仁王門、五重の塔が完成された。本尊は阿弥陀三尊像、その他に孔雀明王画像など多くの国宝を有し、春に秋に見事なまでに堂塔を背景に調和した庭園は必見、名勝御室桜は京都の代表の一つの桜、御室華道流の家元として広く文化的活動を続けている。

2009年11月3日火曜日

神仏霊場巡り須磨寺




神仏霊場巡り 須磨寺
兵庫の古刹、通称は須磨寺と言う正式には福祥寺といって平安時代の886年に聞鏡上人が光孝天皇の勅命を受けて七堂伽藍に本尊は和田岬の海中から引き上げた観音像を祀っている。寺には平家物語の名場面の一の谷の合戦に平敦盛と熊谷直実の一騎打ちが庭に再現されていて、敦盛の「青葉の笛」や「弁慶の鐘」弁慶が長刀の先に懸けて担いできた鐘など縁の宝物が残され、良寛、芭蕉、蕪村、子規、など時代の著名人の名が見える。弘法大師縁の真言宗の寺として「須磨のお大師さん」として親しまれている。

2009年11月1日日曜日

神仏霊場巡り湊川神社





神仏霊場巡り    湊川神社
楠公縁の地である、神戸の湊川は楠正成が南北朝時代に湊川の合戦に殉死した正成を慕って土地の人々の願が聞き入れられ、明治維新を機に明治天皇の創始の沙汰が下された。豊臣時代にはこの墓所を免地にされ、水戸光国は「嗚呼忠臣南子乃墓」と墓碑を建立、幕末には維新の礎となった、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、西郷隆盛など獅子といわれる人々が墓参した。明治に入って伊東博文が明治五年に別社官幣社に働き掛け墓所、殉節地を含む境内に寄与した。