2011年4月24日日曜日

浪速今昔百景(3)坐摩神社いかすり

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浪速今昔百景(三)“坐摩神社”いかすり
摂津の国一ノ宮は「住吉大社」で名が知られているが、平安時代には摂津国西成郡一座の大社として記載されている。御祭神は、生井神、福井神、綱長井神、波比岐神、阿須波神の五柱の神を祭り、住吉大社に次ぐ大社として大宮(皇居)地霊を守る神として摂津の国一ノ宮として扱われてきた。元々一ノ宮は平安時代から鎌倉に掛けその時代、その土地の情勢によって勢力、信仰の力によって一ノ宮が形成されてきた経緯上、諸国にはこれと言った認定は認可がなかったようで一ノ宮は時代によって変わってゆき、一ノ宮、二ノ宮から、八ノ宮と形成されて来た経緯上、この坐摩神社は仁徳天皇の時代、難波高津宮皇居としていた時に地霊として祀られたいたものと伝えられる。現在は大阪都心の真ん中目抜き通りの、オフイス街にあって周りはビルが林立して居る所にあるが、創建時の鎮座場所は大阪城の西方一帯の天満橋辺りだったらしいが、豊臣秀吉の大阪城の折に現在の地に遷座されたようである。中世には住吉大社とは本末関係にあったらしく、神功皇后が応神天皇を御出産の折には、阿須波神に祈り奉納されたそうである。安産の神として、陶器の神の神社として、夏越神事と共に夏祭りが、秋冬には鳥懸神事がビジネス街で賑わいを見せる。

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