2011年5月1日日曜日

浪速今昔百景8天神さん(大阪天満宮)

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浪速今昔百景(八)天神さん(大阪天満宮)
日本三大祭の一つと大阪の夏祭りの代表の「夏大祭天神祭」は大川で執り行なわれる船渡御は百艘余りの供奉船が繰り出し水面を埋める。花火が川面照らし華やかに、賑やかに「だんじり囃子」に参詣道の天神橋商店街に人が溢れ百万人以上集まる。大阪は天下の台所、川筋に並ぶ各藩の蔵屋敷に豪商たちは豪華に飾ったかがり火船などを競って出した事に始まる。天満宮の祭神さんは菅原道真公、手力雄命、猿田彦命、野見宿禰である。元々は古代の難波長柄豊崎宮を守護する、地主神が鎮座する大将軍社の森だったという。平安時代に村上天皇の勅願によって菅原道真公を主祭神にした。理由は菅原道真公への策略によって大宰府に流されて途中、立寄った事に由来する。大宰府で無念の死後、都に災難が続き、疫病が流行した、ゆわれなき罪に非業の死を恨みと考えられて怒りを鎮めるため諸国に一万二千社余り建立された。境内には談林俳諧の祖西山宗因ゆかりの向栄庵跡碑や松尾芭蕉の「行く年や、薬に見たき、梅の花」の句碑があって、浪速に連歌が流行り歌師宗祇が千百発句を献じた。また浪速の豪商淀屋辰五郎らの連歌が盛んに行なわれた。商人の町大阪は商人と共に栄え大阪の町々の鎮守として、商売繁盛の願掛けに栄えたが、南北朝時代には楠木正成の嫡男正行と北朝側の山名時氏との戦いで焼失、元亀元年の信長と門徒宗の石山合戦で戦禍に逢い、天保八年の大塩平八郎の乱で焼失した。その後今日西暦一八四五年に再建されの現在の権現造りの社殿に再建された。
大阪天満宮の天神信仰は文人で学問を司る博士で、その遺徳を偲び、学問の徳を願い、人々はこぞって御参りをする。特に入試などの絵馬や願掛けは毎年全国より参集し京都は北野天満宮、九州は大宰府天満宮と大阪天満宮と代表する天満宮である。

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