2011年7月18日月曜日

浪速今昔百景

浪速今昔百景(二)高津宮と報恩院

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浪速今昔百景(二)高津宮と報恩院
大阪は上町台地、谷町九丁目の北に一筋入った所に向かい合って高津宮と報恩院がある。仁徳天皇が高台から民のかまどの煙が立たぬことを知って免税をした縁の地である。また難波高津宮に遷都したと伝えられる、宮跡に高津宮が鎮座する。
祭神は主神祭に仁徳天皇・左座に仲哀天皇・神功皇后・応神天皇、右座に葦姫皇后・履中天皇を祀る。豊臣秀吉が大坂城を築城をするときに、この地に遷座した、その時に比売古曾神社も境内に遷座し高津宮の地主神として摂社とした。
ところが第二次世界大戦で神輿庫を残し焼失、昭和三十六年に再建された。この高津宮は落語に文楽に登場する舞台であり、庶民の憩いと守り神である。中でも上方落語の「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」がる。「高津の富」はこの神社の境内で富くじが繰り広げ、泣き笑いの人情話は有名である。この寄席に五代目桂文枝一門が関わっており、今は亡き文枝最後の講演は「くろもん寄席」であり境内には石碑が建立されている。
また歌舞伎の坂田藤十郎襲名披露前の高津宮での祈願祭と絵馬奉納も行なわれた。境内は梅林の散策道に高倉稲荷神社、梅乃井、垣富庵石碑、北坂に西坂(旧縁切り坂)相合坂と庭園を散策して浪速の風情を感じると言うものである。
道を一つ隔て南側に報恩院がある。真言宗醍醐寺派で開山良遍上人、本尊不動明王である。こじんまりとした境内を入った正面に戦災で焼け残った「相生の樟」を背に立つ「高津北向不動」と称する水掛け不動は大阪商人の参詣の人多く線香の絶え間がない、また「夢見せ不動」とも呼ばれている。左手のお堂は阿閦如来を安置、ぐるりと参道を巡り、神変大菩薩、秋葉大権現と庶民の願と、現世利益を授けてくれる大阪の下町の守ってくださる諸仏である。

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