2009年10月26日月曜日

ひこいちの江戸〔東京〕歴史探訪










ひこいちの江戸〔東京〕歴史探訪記
十月二十三日~二十四日かけて在野史、郷土史の趣味の仲間が集まって、東京に本部をおく「歴史研究会」主催の第二十五回首都圏大会が挙行され大阪で活動する(ひこいち)ニックネームの私は歴史愛好家は一泊二日の江戸(東京)探訪記に出かけた。このレポートはその時の記録である。
前回は出雲島根大会、その前は信州長野大会、その前は近江滋賀大会と全国の仲間と合い土地柄、風土、地域の歴史文化に触れるのが楽しみである。
大会の様子は割愛するが、江戸歴史探訪記として三箇所を写真、レポートすることにした。大会の二日目のスケジュールはバスで江戸東京博物館である、続いて増上寺で(経蔵・本堂・霊廟)でうち本堂以外は一般公開されて要らず必見であるが経蔵は雨天のために中止、霊廟のみ野拝観。続いて浅草、浅草寺で時間の都合上一般公開されていない「伝法院」の庭園のみである。もう一つは私の個人的探訪で時間があれば品川のホテルの待ち時間の間に訪れてみたかった「泉岳寺」である。日本国で国宝,重要文化財は関西の京都や奈良と思いがちであるが、都道府県の中で実は東京都が一位で2082件、二位京都府で2049件である、三位奈良県、四位が滋賀県、五位が大阪府である。
前段この位で数ある文化財の中で、たまたま企画された増上寺と浅草寺は仏教史好きの私に巡り合せた運命のようなもの、浄土宗本山知恩院は一年に何度か訪れる寺院である。宗祖法然上人の関東の大拠点である。しかも徳川家の菩提寺で徳川家康の江戸入府と共に宗勢を拡大し三千人の僧侶が修行する一大道場であった。一方天海の影響で勢力を広めた天台宗とは、その覇権を巡り凌ぎを削ったと見られる。将軍墓所としても二代秀忠,六代家宣、七代家継、九代家重,十二代家慶と六代づつ墓所があって、上野寛永寺と二分するもので徳川家への絶大なる信頼が窺える。
浅草は浅草寺は東京随一の観光名所である。本堂(観音堂)五重塔、仲見世、雷門、二天門、宝蔵門など数ある中で一般公開されていない、大都会の中に唯一静寂を味合えるのが「伝法院」である、浅草寺の本坊であるが何より「小堀遠州」の庭園ある。それは初心を見てもらった方が納得頂けるのではないかと思う。もう一見の寺院は品川「泉岳寺」で個人的に訪問したい寺院で二十八年前に両親、子供と夫婦の六人家族で父の東京巡りの希望で三つ「靖国神社、皇居、泉岳寺」の大正二年生まれの軍人だった父の望みだった。その泉岳寺を訪れた二十八年前も今も余り変わっては居なかった。忠臣蔵は忠孝の精神は戦前の日本人の支えた精神文化でもあった。曹洞宗の江戸三カ寺の一寺、元禄時代に主君の仇を打つべく本懐を遂げて、主君の墓前に報告の為に泉岳寺に、「忠臣蔵」として赤穂浪士は浅野内匠頭に報告する物語は時代を越えて日本人の心情を揺さ振るものである。河内生まれの私の、この度の一端の訪問は平成江戸見聞録とでもいうか、小さな江戸再発見、再考と言えると思う。

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