2009年3月19日木曜日

難波のお彼岸の寺 一心寺

大阪ではお彼岸、盆は老若男女を問わず宗派を越えてお参りする人は受け継がれ、季節の風物詩である。   一心寺 浄土宗別格本山 本尊阿弥陀如来 法然上人二十五霊場七番札所
大阪市天王寺区逢坂二の八の六十九 JR天王寺、地下鉄天王寺駅下車十分
都心にあって、交通の良く大阪の人にとり天王寺と一対に参ることが多い。
天王寺と同じく、お盆、彼岸には天王寺と一緒に御参りをするそんな習わしが何時の時代からか。当たり前になっている。「お骨仏の寺」として宗派を超えて「納骨」をする、一般常識を超えた大阪人の常識である。
大きな伽藍が立ち並ぶが建物は比較的新しいが、古い建物は戦災で焼失した。創建は寿永四年(1185)法然上人が四天王寺の西門に辺りで四間四方の庵を結び「日想観」の修行をしたのが始まりと言う。
現在の境内は、秀吉の夫人高台院から受領したもの、その後大阪夏の陣で主戦場になり三千人の供養の塚を造ったと言う。その後この地に堂塔を建立され供養された。第二次世界大戦で全て焼失したが、戦後の再建で、本堂、念仏堂、日想殿、開山堂と次々建立されていった。その他境内には、本多出雲守の五メートルの「おばけとうろう」に八代目市川団十郎の碑や、竹本隅太夫の墓など大阪の芸能人などの墓五千余りあり、また納骨で造った「阿弥陀仏」は江戸末より始められ、十年に一体造られる。

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